広大な
京都御苑で、たくさんの艶やかな桜を観賞した後は、、、
【しばし二条通を歩いて、交差する河原町通を南下。
日本銀行京都支店の南隣にある高い建物が、
京都ホテルオークラ】
【京都ホテルオークラの場所は、長州藩屋敷があったところ。故に、桂小五郎(木戸孝允)像が鎮座します】
【「頭上注意」ってあったので、何だろう~と思って見上げると…】
【細い押小路通を東へ歩いて行くと、、、】
【
昨年1月以来の
高瀬川・国史跡「
一之船入」です!満開の桜と、桜吹雪が、実に風流に感じます】
【ここから、高瀬川沿いにある
木屋町通をひたすら南へと歩いて行きます!】
【木屋町通を歩き始めて、すぐ左側にあるのが、
桂小五郎幾松寓居跡の石碑と、幾松が小五郎を匿っていた屋敷で、木戸孝允未亡人・松子となってから余生を過ごした屋敷でもあり、かつ現在は国登録有形文化財にもなっている料理店・旅館『
幾松』】
桂小五郎が幕府側の詮索から逃れるための仕掛け(抜け穴・飛び穴・のぞき穴・つり天井など)が現在でも幕末当時に近い状態で保存されているので、『幾松』のお客で希望者には一部を見学させてくれるとのこと。
しかし、、、ここはドレスコードを要求される
高級料理店・旅館、今の私にはとても縁遠いところでもありやす…。
あっ、ちなみに、、、幾松さん→木戸松子さんの出身地は、
若狭小浜だったりします。
【『幾松』からすぐのところ、高瀬川の対岸にある2つの碑があります。右が
佐久間象山遭難之碑、左が
大村益次郎遭難之碑。幕末・維新の偉人が奇遇にも、同じところで襲撃・暗殺されたんですね】
【高瀬川沿いの桜並木は、ひたすら続きます。御池通から北を見たところと、南を見たところ】
【御池通を渡って、先へ進みます】
【三条通です。今まで遭難碑だと思っていたこの石碑は、「北へ約壱丁」(約109m)の標識だったんですね…】
【三条通から、北を見たところ。桜の高瀬川を見ながらカフェって、洒落てるなぁ~】
【瑞泉寺や酢屋付近を通るのも、
9ヶ月ぶりです。瑞泉寺山門は、修復を経てきれいになったように見えます。そして酢屋は、落ち着きを取り戻しているようです】
【しばしの間、高瀬川の右岸である西木屋町通を進みます。
彦根藩邸跡の石碑がある橋の南側を望むと、まるで桜のトンネルです】
【ちょっとだけある西木屋町通から、左岸の木屋町通に戻ります。高瀬川をよく見ると、水鳥がいるんですね】
【今度は、
土佐藩邸跡の石碑です】
【市立高倉小学校第二教育施設の玄関前にあるレリーフ入りの碑が、
高瀬川開削375年記念角倉了以翁顕彰碑。あと、「
日本映画発祥の地」の説明板もありました】
【高瀬川の桜並木が続く、続くです】
【四条通です。相変わらずこの通は賑やかです。四条河原町阪急があった建物は、1週間後の27日に
京都マルイとして開店します。四条河原町の新しい核になることを期待しましょう】
【四条通を過ぎると、高瀬川の中には夜間ライトアップ用の照明が設置されています】
【しばらくすると、高瀬川沿いの歩道が設置されていません。木屋町通の東側を歩くことにします。人力車の姿が粋ですね】
【見覚えある店の名前だなぁ~と思ったら、老舗鶏料理店『
鳥彌三』。坂本龍馬も名物「
鶏の水炊き」を食べるために贔屓にした名店です】
絶品と誉れ高い
白いスープの鶏の水炊き、一度味わってみたいんですが、、、やっぱりお高いんですよ…。
【木屋町通を、更に南へと歩いて行きます】
【舞妓さん?姿のモデルの撮影をされてました。撮影日和ですもんね】
【高瀬川の右岸を歩くことができる細い道が通っているのが見えましたので、そちらを歩いてみます】
【こんな細い道でも、分岐する道があるんですね!立派な生活道路として機能していると思われます】
【木屋町通の路面よりもちょっと低いところを通る、この細い道から見上げる桜と、高瀬川の水面に浮かぶ桜の花びらが、疲れ切っていた私の気持ちを癒してくれました!仕事休んでまで上洛した甲斐があったと思うと、ホッとした自分がいましたね】
【右岸の細い道も終わって、左岸に戻ると五条大橋。鴨川沿いの桜並木も素晴らしく、来季以降の桜巡りには歩いてみたい候補のひとつです】
【五条大橋西詰にある
扇塚と、木屋町通の西側にある
牛若丸・弁慶像を見届けて、桜並木の高瀬川散歩も終わりです】
45分かけて、押小路通から五条通の木屋町通を、高瀬川の桜並木を歩き通しました。
桜並木も素晴らしいことながら、幕末・維新の浪漫を感じられる素晴らしいルートだと感じた次第。
幕末の志士たちは、佐幕側であろうと倒幕側であろうと、命がけの活動をしていたことは想像に難くありません。
しかし、そんな志士達にも、木屋町通の料亭で休息を取る日もあったことに『人間らしさ』を感じました。
更に更に、続きます。。。