「吾唯足知」な日々


【吾唯足知】とは…『自らを高めるための弛まぬ努力を続けることは大事なこと、そして志半ばでも自らを振り返って成したことに対し満足するゆとりの心を持つことも大事なこと』…と自己解釈。
本来の意味では…『足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し』…という仏教の真髄かつ茶道の精神を表現した言葉。

ポツポツと綴る、福井在住・Takeuchiによる日常の「ひとりごと」(画像・座右の銘&Blogタイトル由来の龍安寺「知足の蹲踞」)
by Takeuchi
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大安禅寺と千畳敷・後編
数々の重要文化財が並ぶ大安禅寺の拝観を終えて、いよいよ山登りです…。

【大安禅寺の境内を退出します】
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【季節が来ると、花菖蒲園はたくさんの花菖蒲で彩られます。但し、今年は開花が遅くなりそうですが…】
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ちなみに、花菖蒲の時季は大型観光バスがバンバン訪れるほどたくさんの拝観客で賑わいます。

【大安禅寺を訪れた理由の、もう一つの目的地へと坂道を登って行きます】
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【眼下に霊園を臨みながら、坂道を進みます。霊園を通るという事は、よそ様の土地を通らせてもらうのと同じ意味なので、あらかじめ大安禅寺受付でここを訪れることを伝えておきました】
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【左手に石階段があり、大きな墓石があるので見に行ったら、、、「亀墓」とのこと。何の説明板も無いことが残念…】
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【この辺からの、眼下の大安禅寺や福井平野の眺望が素晴らしい!】
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【ヘアピンカーブのところに階段が。前回訪れた時はこの階段を進んだ憶えがあるが、今回は看板に従って進みます】
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【ヘアピンカーブを曲がり切ってすぐのところにあるのが、、、幕末の福井藩において松平春嶽公の許可の下、種痘による天然痘予防を普及と実施に尽力した開業医・笠原白翁の墓(真ん中の屋根付き)です】
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【ここでアスファルトの路面は終了、階段を歩きます。前夜の雨で、かなり滑りそうな状態でした…】
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【「もう少しガンバレ!」】
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【「入口」の看板を見て、右へ曲がると、、、】
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【遂に到着!越前松平家歴代福井藩主の廟所である千畳敷です!】
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【門扉には、徳川・松平家の「葵の御紋」が堂々と彫られています】
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【千畳敷へ入ると、、、圧巻の光景です!】
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千畳敷は、大安禅寺を開基した第4代藩主・松平光通公が両親と祖先の恩を思い、万治2(1659)年から3年までに創建したものです。
四方は2mほどの石柱玉垣と門扉で囲み、1360枚の石板で敷き詰めて、上野寛永寺の徳川将軍家の墓よりも大きい3mを超す「唐破風笠屋根付き(越前式)墓塔」が10基相並んでいます。
そのすべてが、越前産の笏谷石を材料に用いられていることが、当時の越前松平家の力を示しているものと感じられます。

【正面真ん中に立つのが、藩祖・結城秀康公の墓塔。後にあるのは、秀康公に殉じた重臣・土屋昌春と永見貞武の墓塔です。秀康公の菩提寺は、前に紹介した運正寺です】
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【秀康公の墓に向かって右側にあるのが、光通公の父・第3代藩主忠昌公と母・道姫の墓塔。ちなみに、忠昌公の墓所は永平寺にあります】
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【そして、忠昌公の向かいにあるのが、光通公と正室・国姫の墓塔です。光通公の戒名が「大安院」というから、力の入れようが分かります】
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【秀康公墓塔から、門扉方向を見た様子。5代・昌親(7代・吉品、墓所は瑞源寺)、8代・吉邦(同・運正寺)、9代・宗昌(同・東京都港区天徳寺)、10代・宗矩(同・運正寺)、11代・重昌(同・天徳寺)の墓塔が並びます】
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あれっ?他の藩主はというと、、、2代・忠直卿は配流先の大分県大分市浄土寺に、6代・綱昌は蟄居先の東京都江東区霊巌寺、12代・重富と13代・治好は天徳寺に、14代・斉承と15代・斉善は運正寺に、16代・慶永と17代・茂昭は東京都品川区海晏寺にあります。

【千畳敷を出ます。門扉の裏側には、豊臣・羽柴家の「五七桐紋」が彫られています。結城秀康公の生涯を追えば、葵紋と五七桐紋が同時にあることも納得ですが、、、越前松平家の成り立ちを考えると複雑な想いもあったのでしょうね…】
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【下山は、千畳敷の後からにしました】
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【階段を下りて行ったところにあるのが、、、】
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【江戸末期の歌人・橘曙覧の奥墓があります】
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【幅が細い階段を下りると、先程のヘアピンカーブに辿り着きます。合流点にあるのが、橘曙覧が歌ったたのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時の石碑】
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平成6年に天皇皇后両陛下が訪米した際に、ホワイトハウスの歓迎式典でクリントン大統領が歓迎の挨拶において、この歌を引用してスピーチをしたことに因んだ石碑なんでしょう。

ちなみに、、、共にこの山に墓がある笠原白翁と橘曙覧は親友で、当時の大安禅寺の住職とも友人だったため、生前よくこの寺に通っていたとのこと。
故に、二人ともこの地に墓を立てることにしたんでしょうね。

【下山して、大安禅寺の山門を後にしました】
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大安禅寺の駐車場から千畳敷まで、往復30分。
大安禅寺の拝観はしても、千畳敷まで訪れる拝観客は少ないように思えます。
しかし、千畳敷までの山登りをする価値は、大いにあります。
山腹に広がる笏谷石のみで構成された壮大な墓所は、複雑な成り立ちの上で御家門筆頭の家となった越前松平家の歴史をも感じさせてくれます。
宜しかったら、花菖蒲園を見た際に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

実は、、、前後に訪れたところがあるので、まだ続きます。。。
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by chiketa_net | 2011-05-08 21:12 | 越前若狭の歴史
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