「吾唯足知」な日々


【吾唯足知】とは…『自らを高めるための弛まぬ努力を続けることは大事なこと、そして志半ばでも自らを振り返って成したことに対し満足するゆとりの心を持つことも大事なこと』…と自己解釈。
本来の意味では…『足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し』…という仏教の真髄かつ茶道の精神を表現した言葉。

ポツポツと綴る、福井在住・Takeuchiによる日常の「ひとりごと」(画像・座右の銘&Blogタイトル由来の龍安寺「知足の蹲踞」)
by Takeuchi
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京都「八重の桜」巡り・その1
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仕事上でひとつヤマを越えたため、お休みをいただいて久しぶりの上洛です。
ごしゅりんさんとの再会のためですが、せっかくなので平日の京都を巡ろうと。
今回のテーマは、京都における大河ドラマ「八重の桜所縁の地を訪れること。
ドラマはあと2回の放送で終わりますが、主人公・新島八重が京都で残した足跡は会津以上。
9月に会津若松編として巡ったので、今回は京都編としてあちこち訪れてみたかったのです。
ということで、、、福井駅から「サンダーバード8号」で出発です。




【京都駅に到着。実は今年4回目の上洛だったりします…。かつては毎年12月末に利用していた「市営地下鉄1dayフリーチケット(600円)」を購入し、地下鉄に乗ります】
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【東西線蹴上駅で下車、三条通をちょっとだけ西へ】
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約6年ぶりに、インクライン下を通る「ねじりまんぽ」を通ります】
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【明治の京都の偉業である琵琶湖疏水とインクラインは何度も訪れているので、今回はチラ見するだけ。「ねじりまんぽ」から先を直進すると、、、南禅寺塔頭のひとつ、金地院の横を通ります。徳川家康の側近である「黒衣の宰相」金地院崇伝の拠点となった臨済宗の名刹。特別拝観をしてましたが、、、今回はやはりパス】
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【さらに道なりを進み、門を潜って右折すると、、、これまた久しぶりの南禅寺山内へ】
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【南禅寺山内に入ってすぐ右にある塔頭が、天授庵。福井藩主・松平慶永公の政治顧問である熊本藩士・横井小楠の菩提寺であり、長男で同志社第3代社長(現・総長)である横井時雄と妻で山本覚馬の娘・峯夫妻の墓もある古刹。特別拝観中だが、墓地は拝観不可なので、門の前で感慨にふけるのみです】
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今年は「そうだ 京都、行こう。」で今年の秋のポスターになったので、これまでに見たこと無いくらい参拝客も多いです…。

【南禅寺三門の前を通ります。紅葉の盛りは過ぎたものの、まだまだ山内にはきれいな光景を眺められます】
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【鹿ヶ谷通を進みます】
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【明らかに紅葉の彩りが違う、浄土宗西山禅林寺派総本山 聖衆来迎山禅林寺(永観堂)の門前を通ります。紅葉シーズン以外に訪れたことはあるが、「秋はもみじの永観堂」と謳われるだけあって、平日でも参拝客の多さはハンパないです】
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【永観堂の北側で、鹿ヶ谷通を右折。今日最初の目的地の道しるべも、道端に見えてきました】
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【琵琶湖疏水分流に沿う「哲学の道」は左折ですが、私はそのまま若王子橋を直進です】
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【若王子橋の傍に立っている「同志社創業者 新島襄先生墓所参道」の石碑。今日最初の目的地は、今日最もシンドイ同志社墓地を目指します】
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【永観堂の守護神で、後白河上皇が紀州熊野権現を祈願所として勧請した、熊野若王子神社。墓所参道は、神社の石段を上がらずに右へ進みます。これでもかと、案内板が掲げられているので、迷うことがないです】
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【巨大な看板から、山道となります。扉がありますが、これはイノシシの侵入を阻むために設けられたもの。この扉を開けて(山側に入ったら必ず閉めて)、眼下の滝を見ながら竹杖をお借りして登ります】
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【凄い山道です。あえて冬近くの時季を選んで訪れたんですが、、、これが夏だったらヤブ蚊の餌食になっていたなぁ~】
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【途中に二又があります(又のところに砂防堰堤がある)が、コンクリが敷かれて石碑が立っている右側へと進みます】
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【今でも結構な坂道なのに、明治23(1890)年に今出川から来た襄の棺がここを通った時はどんな道だったのだろうか…と思いながら、汗かきながら歩きます】
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【道端の表示を見て、ここが中間だと知ります。まだ中間なのかと…】
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【墓地群が見えてきました。同志社墓地はまだ先ですが、、、多くの墓に刻まれているcrossを見ると、襄を慕う人達のモノなのだろうかと勝手に想像してしまいます】
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【熊野若王子神社から25分かかるとされていましたが、私は15分で遂に若王子山頂・同志社墓地に到着しました!】
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【敷地内入口に掲げられた、案内板。2種類あったが、私は手書きのこちらがお気に入り】
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【真正面にあるのが、新島襄之墓。勝海舟の揮毫で、「島」の字の横棒一本足りないのは有名な話】
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最初に立てられた墓は襄の遺言のとおり木製の質素なものだったが、翌年に鞍馬産の自然石で勝の揮毫が刻まれた2代目墓碑が立てられました。
昭和61年に「不慮の事故」で倒壊後、翌年に襄がアメリカからの帰国直前に募金演説をしたヴァージニア州ラットランド産花崗岩で現在の3代目墓碑が立ったとのことです。

【向かって左隣にあるのが、新島八重之墓。揮毫は八重の遺言で、「熊本バンド」の一員で新島夫妻と同志社最大の支援者であるジャーナリスト・徳富蘇峰による】
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【今もなお、新島夫妻は寄り添っている】
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【向かって左側から参ります】
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【八重の墓の隣にあるのが、新島家の墓。父・民治や母・登美、姉がここに眠る。元々は南禅寺に葬られていたのだが、こちらに移された】
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【左奥へ。徳富蘇峰碑。蘇峰の墓は東京・多磨霊園にあるが、ここに分骨されているようです。「自責の杖事件」で同志社英学校中退なれど、貢献度は絶大ですからね。碑銘は自筆というのも個性的】
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【徳富蘇峰碑の隣に、山本家の墓が連なります】
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【八重の兄で同志社発起人の一人、会津藩士から京都府顧問・京都府会議員初代議長・京都商工会議所会頭である山本覚馬の墓。詳しいことは後で紹介するが、、、新島襄死去後2年間は、同志社臨時社長も務める創業時最大の後ろ盾として活躍したのは周知のとおり】
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【覚馬・八重の父で会津戦争で戦死した権八、母で同志社女学校舎監も務めた佐久、弟で鳥羽伏見の戦いで戦死した三郎を弔った山本家墓。ちなみに、山本家菩提寺は会津若松市の大龍寺に、八重が亡くなる1年前である生前最後の会津訪問時に整備しています】
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【覚馬後妻との間の娘・久栄の墓。元恋人かつ同志社英学校中退での小説家・徳冨蘆花(徳富蘇峰の弟)の小説『黒い眼と茶色の目』にヒロインとして登場しますが、、、若くして亡くなられてしまいます】
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【向かって右側へ】
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【襄の向かって右隣にあるのが、アメリカン・ボード宣教師であるジェローム・ディーン・デイヴィス(Jerome Dean Davis)の墓。同志社設立時の教員2人のうちのひとり(もうひとりは社長である新島襄)であり、襄・八重の結婚時における立会人であり、襄の死後は『新島伝』を著した良き理解者。亡くなったのはアメリカであるが、この地にも墓が立てられたのでしょう】
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同志社共葬墓。170名の埋葬者氏名が刻印されてます】
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【そして、墓地敷地の門の横にあるのが、同志社初期の用務員である松本五平の墓。襄を慕い、ユーモアな逸話がある人で、死後に門の外に葬って門番になりたいと願ったところ、八重が門の内側に葬る約束をしたという人。今も、門のすぐ傍に墓守として襄を慕っている】
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山奥の山頂にある同志社墓地は、とても静かな場所でした。
落ち葉が地面に落ちる音と、鳥がさえずる声と、遠く梅小路蒸気機関車館からの汽笛の音だけが聞こえる静かな場所。

同志社校祖である襄が亡くなった後、父が葬られた南禅寺に一緒に葬られる予定でしたが、、、プロテスタントということで断られてしまいます。
当時の熊野若王子神社の宮司と山本覚馬がお知り合いで、京都市営墓地の土地でもあった若王子山山頂を以前紹介していた経緯から、襄の棺がこの地で葬られることができたとのことです。
熊野若王子神社の宮司さんは画家でもあり、訃報と若王子山に葬られたことを聞いて新島襄肖像を描いて同志社に寄贈し、今は同志社大学礼拝堂に掲げられています。
以上の事は、熊野若王子神社で頂ける紙に記載されているとのことです。

【15分の滞在の後、同志社墓地を後にして山を降ります】
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【右足の大怪我の後遺症がまだ残る私にとっては、登りよりも降りる時の方が大変。足下を見定めて、急な参道をゆっくり進みました。途中、参道を登る何人かの方に「あとどれだけかかりますか」と尋ねられましたが、それだけ大変な急坂な参道ですね】
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【二又地点を過ぎて暫く、ようやく麓の建物が見えてきました】
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【イノシシ除けの扉まで戻ってきました。ここで竹杖を返却します。竹杖で地面を突く音が「猪脅し」の音に似ているように感じたので、足が悪くなくてもお借りして使うのはアリかと思った次第】
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【熊野若王子神社が見えてきました】
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【若王子橋を渡り、「哲学の道」を横目に見て、再び鹿ヶ谷通まで戻りました。既に足はガクガク状態です…】
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その2へ続きます。。。
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by chiketa_net | 2013-12-06 11:20 | 京都上洛
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