「吾唯足知」な日々


【吾唯足知】とは…『自らを高めるための弛まぬ努力を続けることは大事なこと、そして志半ばでも自らを振り返って成したことに対し満足するゆとりの心を持つことも大事なこと』…と自己解釈。
本来の意味では…『足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し』…という仏教の真髄かつ茶道の精神を表現した言葉。

ポツポツと綴る、福井在住・Takeuchiによる日常の「ひとりごと」(画像・座右の銘&Blogタイトル由来の龍安寺「知足の蹲踞」)
by Takeuchi
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京都「八重の桜」巡り・その3
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金戒光明寺の特別公開と会津墓地を訪れたくろ谷を後にして、春日北通から岡崎通へと進みます。




【岡崎公園と平安神宮の間を通る冷泉通を、応天門と大鳥居を見ながら西へと歩きます】
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【さらに西へ進むと、観光バス用の駐車場の向こうに門が…】
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【京都市武道センターとの境目にある、京都守護職屋敷門と伝わっている門。確かに、孝明天皇の松平容保公に対する信任の厚さが、瓦への「菊の御紋」が配されていると考えても不思議ではないです。但し、、、どこにもその説明をしてくれる案内板は無いのが残念】
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【琵琶湖疏水に架かる冷泉橋を渡り、疏水に沿って引き続き冷泉通を歩きます】
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【疏水を見ると、鳥の親子らしき隊列が…】
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【疏水の途中に広がる、夷川ダム湖の向こうに立つ銅像は、第3代京都府知事・北垣国道。大河ドラマでも登場した第2代府知事・槇村正直の後任。琵琶湖疏水の建設と共に、発電所の建設、京都市電の敷設、京都商工会議所の設立と、近代産業都市・京都の発展を加速させた人物です。娘を同志社女学校に入学させて協力者となったことで新島襄・八重夫妻と縁があり、京都商工会議所つながりで山本覚馬と縁があります】
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【チョイと進むと見えるのが、夷川ダムと関西電力夷川発電所。大正3(1914)年に発電開始されましたが、、、街中の発電所とは珍しい】
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【それにしても、琵琶湖疏水沿いに延びる冷泉通の紅葉も見応えあったのは、私にとって発見でした】
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【鴨川に突き当たり、岡崎通をしばし北へ】
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【再び丸太町通へ、丸太町橋で鴨川を渡ります】
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【丸太町橋西詰にある石碑が、「女紅場址」。明治5(1872)年に設立された日本最古の女子高等教育機関『新英学級及女紅場』の跡地で、英語をはじめとした女子の教育がここから始まったのです。茶道・華道・礼儀作法などの教授方は、京都が誇る一流どころばかり。当時の京都府が如何に教育へ力を注いでいたかが分かります。そんなところに、出羽米沢から京都府顧問をしていた山本覚馬を頼って京都へ来た妹・八重は、この女紅場の舎監兼養蚕・機織りの教授方として赴任することになります】
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【さらに丸太町通を西へ、河原町通を過ぎて寺町通の交差点へ】
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【丸太町寺町の交差点よりちょっとだけ寺町通を南に行くと、東側の歩道に立っているのが「横井小楠殉節地」の石碑。熊本藩士で元福井藩政治顧問の小楠は、見識をかわれて明治政府に参与として出仕するが、、、明治2年1月5日(1869年2月15日)、御所参内の帰途にこの地で十津川郷士によって暗殺されました。長男で後に山本覚馬の娘・峯と結婚し、同志社第3代社長となる横井時雄も、おそらくここを訪れていると思うが…心中は如何だったろうかと】
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【丸太町通から寺町通を右へ、北へと進むと、、、】
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2年ぶりに、新島旧邸の前に来ました!現在は大河ドラマの関係で、インターネットによる申込予約制で拝観できるシステムが来年3月まで火曜日以外毎日開館となっているため、同志社新島会館が入口、新島旧邸の門が出口となっています】
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2年前に新島旧邸を訪れた時は、京都御所一般公開に合わせた特別公開というスタイルでしたが、、、あの時は訪れる人もホント少なくて、私一人独占状態でゆったり見学できました。
写真では人影少ない時を狙って撮りましたが、実際は複数人もの団体客が入れ替わり立ち代わりの大盛況。
NHKは視聴率云々を気にしている様ですが、2年前の新島旧邸を知っている私としてはそんな心配は御無用なほどの変わり様を感じました。
メディアの力は凄いなぁ~と…。

【新島旧邸を過ぎてすぐのところにあるのが、京都府立鴨沂高等学校(現在は校舎建て替えのため仮移転中)。新英学級及女紅場がこの地に移転し、京都府立京都第一高等女学校となり、現在に至るのだが、、、この門は女紅場時代から移転し現存しているもの。八重も、この門を通った!】
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【女紅場の門を見届けて、少し寺町通を戻ってから、、、京都御苑を寺町御門から入ります】
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【御苑を北へ進み、御所の東側を通ります】
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【御所唯一の東門・建春門。文久3(1863)年7月に「会津藩天覧馬揃え」を行った際に、孝明天皇はこの建春門の内側から馬揃えを見届けて称賛した。当日は雨が降って中止が予想されていたにも関わらず、朝廷を牛耳っていた長州派公卿が会津藩に恥をかかせようと強行を指図したが、見事に軍事訓練を披露したエピソードはドラマでも再現されてました】
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【見事な紅葉があちこちある御苑内を、一旦右(東)へ進みます。この時、パラパラと微妙な雨が降ってきたのには焦りました。何せ、雨宿りできる場所が全く無いので…(塀近くで雨宿りすると、センサーによってすぐに皇宮警察が来ちゃうからダメ)】
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【突き当たりに広がるのが、塀に囲まれた京都迎賓館。公家・柳原前光(大正天皇生母・柳原愛子の兄)邸が東京奠都により空き家になっていたところを、アメリカン・ボード宣教師で新島襄の同僚であるJ.D.デイヴィスが譲り受けて住んでいた場所です。この地で同志社女学校の前身「女子塾」が開校し、新島襄と山本八重はここで日本初の日本人同士によるプロテスタント結婚式を挙行した場所でもあります】
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【おそらく今年最後の見時となろう紅葉と黄葉を見ながら、御苑を北へ進みます。もう足はパンパンを通り越してますが、リハビリも兼ねてるつもりで歩きます】
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【今出川口から、京都御苑を出ます】
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その4に続きます。。。
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by chiketa_net | 2013-12-06 14:10 | 京都上洛
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