「吾唯足知」な日々


【吾唯足知】とは…『自らを高めるための弛まぬ努力を続けることは大事なこと、そして志半ばでも自らを振り返って成したことに対し満足するゆとりの心を持つことも大事なこと』…と自己解釈。
本来の意味では…『足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し』…という仏教の真髄かつ茶道の精神を表現した言葉。

ポツポツと綴る、福井在住・Takeuchiによる日常の「ひとりごと」(画像・座右の銘&Blogタイトル由来の龍安寺「知足の蹲踞」)
by Takeuchi
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京都「八重の桜」巡り・その4
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岡崎から京都御苑まで、会津や新島八重に関係する場所を歩き巡りをてくてくと進んでいき、京都御苑の北・今出川通に出ました…。




【京都御苑・今出川口を出てすぐ西にある出入口が、旧柳原邸の設立に八重も関わった同志社女子塾から同志社分校女紅場→同志社女学校→同志社女子専門学校と変遷した、同志社女子大学。正門前から見える栄光館(国登録有形文化財)は、昭和7(1932)年6月14日に新島旧邸で亡くなった八重の葬儀が「同志社社葬」として執り行われたところ。2000人もの参列者があったとのこと】
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【さすがに、女子大学に足を踏み入れる訳にはいかないので、、、今出川通を西へ進みます。京都御苑・今出川御門横にあるイチョウの黄葉っぷりがきれいでした】
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【今出川御門の斜向かいにあるのが、同志社大学今出川キャンパス正門。これまで何度も傍の今出川通や烏丸通を歩いたり、隣接している相国寺冷泉家を訪れたりしていますが、キャンパス内には今回初めて足を踏み入れます】
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【正門入ってすぐにあるのが、良心碑。碑に刻まれている「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」は、新島襄最晩年に送った手紙の一節で、書体も自筆を拡大して刻んだもの。同志社教育の真髄は、この言葉より】
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ちなみに、良心碑はここを含めて9ヶ所にあるとのこと。

今出川キャンパスのあれもこれもは紹介しきれないので、国重要文化財に指定されている5つの建造物をここにて。

【当初は図書館「書籍館」として建てられた、有終館(明治20(1887)年11月竣工)。図書館としての役目を終えた時に、「熊本バンド」出身の当時の総長(第8代)・海老名弾正によって有終館と命名】
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クラーク記念館(明治27(1894)年1月竣工)。キリスト教文化センター、教室、チャペルがある】
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ハリス理化学館(明治23(1890)年7月竣工)。リニューアルによって、今年11月29日より「ハリス理化学館同志社ギャラリー」として入ることができます】
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【ということで、、、ハリス理化学館同志社ギャラリーを見学です!】
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『同志社の歴史と創立者・新島襄の今に息づく精神を、貴重な資料によって紹介する展示施設』ということで、常設展と企画展の開催とを見学することができます。
現在の企画展は、まさしく「新島襄と八重」。
3ヶ月にわたって、3章に分けて展示品が入れ替わります(今は第1章「それぞれの道」)。

ちなみに、、、ドラマ同様、新島襄は同志社英学校の大学化を目指しながらも、志半ばで急逝します。
実際に「同志社大学」となったのは襄の永眠から12年後(但し「大学」と言う名の専修学校)。
本当に大学令に基づいて、正式な大学に昇格したのはさらに8年後となります。
新島襄の困難に立ち向かう話は、私は小学生の頃から知ってましたが、そんなに時間がかかったという事実を、ハリス理化学館同志社ギャラリーで今回初めて知った次第です。

同志社礼拝堂(明治19(1886)年6月竣工)。日本最古のプロテスタントのレンガ造チャペル。明治23(1890)年1月23日に神奈川県大磯の百足屋旅館で天に召された新島襄は、半年前に開通したばかりの東海道線によって亡骸が京都に移され新島旧邸に移され、さらにこの礼拝堂にて4000人が参列した葬儀が営まれて、ここから若王子山頂まで棺が運ばれました】
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【最後に、今出川キャンパス内のみならず、京都市内最古のレンガ建築である彰栄館(明治17(1884)年竣工)。つい最近までは戦後増築された新彰栄館があった(写真右奥の部分)が、、、昨年末に撤去し、現在は復元工事中とのこと】
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【今出川キャンパスを歩いて、私は年齢的に「浮いている」んだろうなぁ~と予想していたんだが、、、大河ドラマの影響か、私よりもお年を召した方々がカメラ片手に撮りまくっていた姿をあちこちで見受けられたので、気にしなくなりました…。でも、大勢の現役大学生の姿を見ると、圧倒されちゃいますね~】
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【今出川キャンパス西門から出ます。西門の外にあるのが、「此付近薩摩藩邸跡」の石碑。幕末の文久2(1862)年に設けられた巨大な藩邸には、戊辰戦争時に山本覚馬が捕らわれて幽閉された場所】
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山本覚馬の幽閉ですが、、、実際にはドラマのような粗末な扱いはされず(理由は後ほど)、幽閉中に『管見(山本覚馬建白)』を口述筆記し上程、明治維新後の運命が開かれた事実もこの場所での出来事です。
『管見』上程たった7年後、この土地を取得していた覚馬は、同志社設立の協力者として新島襄に譲って今出川キャンパスの礎になったのは、とても不思議な縁に感じますね。

【烏丸通をちょっとだけ北へ歩き、今出川キャンパスの道向かいにある室町キャンパス・寒梅館へ】
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【寒梅館の1階にある、一般客も入店OKのカジュアルレストラン『アマーク・ド・パラディ 寒梅館』にて、遅い昼食を取ります。日替わりランチは売れ切れてしまっていたので、「ハンバーグランチ(ライス・ドリンク付 750円)」に決定。疲れ切っていたので、ドリンクはジンジャーエールを選択。ボリュームあって、さすが大学の学食!また来たい!!】
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【昼食を取りながら十分な休憩を取って、上立売通を西へ進みます】
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【桜の名所でもある、京都における日蓮宗の大本山・具足山妙顕寺の前に出て、寺之内通を西へ】
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【小川通を北へ歩くと、、、これまでとは明らかに違う趣きの建物や塀が続きます】
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【辿り着いたのは、茶道最大の流派・裏千家今日庵。新島八重が日清戦争時の篤志看護婦活動後、女紅場時代の教授方の同僚として知り合っていた13代宗室(圓能斎)に入門したのでした。八重も通ったであろう、写真の「兜門」をはじめ、今日庵の建物すべてが国重要文化財!】
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直門の茶道家として茶道教授の資格を取得、茶名「宗竹」を授かるほどの上達を見せた。
当時の茶道は男の世界だったが、八重が女流茶道家の先駆けとなり、同志社女学校にも茶道を取り入れるほど女性への茶道の普及に貢献したほど。
さらに、洋館だった新島旧邸に、一部屋だけ「寂中庵」と名付けた茶室に改造したほど入れ込んだ様です。

【兜門の前で小川通をUターンします。千家茶道本家・表千家不審菴は、裏千家今日庵に隣接しています】
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【小川通を南下し、今出川通を通り過ぎます】
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【武者小路通へ左折(東)すると、今度は三千家のもうひとつ・武者小路千家官九庵の前を通ることに】
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【すぐに西洞院通を南下します。ここは結構長い時間歩いて、再び疲れてきました…】
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京都ブライトンホテルの近く、上京二本松にある真宗大谷派 雙松山長徳寺です。山本覚馬は、松平容保公の京都守護職拝命により帯同した際、この長徳寺で洋学所を開いたことが、、、ここ1~2年で判明したとのこと】
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覚馬が開いた洋学所は、会津藩士だけではなく、他藩の藩士にも門戸を開いて講義をしていました。
このことが、後に薩摩藩邸で幽閉された時に人物を知られていたため、粗末に扱われることがなかったことに繋がります。

【ちなみに長徳寺は、、、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りを計画している際に「12月14日に茶会を開く」ことを知るキッカケとなった、茶道宗徧流元祖・山田宗徧の実家だったりします(変名を使って弟子になった、俳人としても有名な赤穂浪士・大高源吾に教えた)】
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【上長者町通を東へ進みます】
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【突き当たりが、京都御苑の西。烏丸通をちょっと歩くと、、、】
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【何度も訪れている、禁門の変の激戦地・蛤御門です。当時の弾痕が残っているというが、、、いつもこれなのか?という写真を載っけましたが、本当にこれなのか…と、やはり疑問が残ったまま】
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【再び、烏丸通を南へ。以前特別公開で訪れた有栖川宮旧邸の角を右折、下立売通を西へ進みます】
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【この界隈、京都府警察本部や上京消防署などの官庁街ってところです】
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【京都府庁です。真正面には国重要文化財・京都府庁旧本館の威容が望めます】
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【京都府庁の正門入ってすぐ右側(東側)にある、「京都守護職屋敷跡」の石碑。面積は今の京都府庁の敷地相当の広い屋敷だったとのこと。旧本館中庭には「容保桜」もあるのだが、、、時間的に見れませんでした】
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【府庁を後にして、妙に立派な道幅の釜座通を南へ。釜座通には、八重が篤志看護婦人会京都市会幹事として所属していた日本赤十字社京都支部の跡地があり、今は京都第二赤十字病院があります(私が救急車で搬送されたのは京都第一赤十字病院)】
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【今日3度目の丸太町通を、ちょっとだけ西へ進み、油小路通を南下します。随分日が暮れてきました…】
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京都国際ホテルの裏手、駐車場の一角に古く趣きのある門が。京都守護職屋敷正門を移設したものと伝わっています(異説もあり)】
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【京都国際ホテルの北側、二条通を西へ進みます。この地は福井藩邸や橋本左内寓居があった地。是非とも、一度は泊まってみたいホテルです】
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【堀川に架かる二条橋を渡ると、堀川通と世界遺産・元離宮二条城に突き当たります】
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【二条城は、幕末における大政奉還の地、明治維新後しばらくは京都府庁と、大河ドラマでも描かれた重要な場所。しかしながら、今回も開城時間は終了しており、いまだ弊Blogで二条城を紹介することは叶わず…。最後のひと歩きをします】
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【蹴上駅を出発してから約14kmを7時間かけて歩き通し、二条城前駅で今回の巡り歩きを終えました】
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もう最後は足は疲労困憊でしたが、こうして「八重の桜」巡りをすることができて満足です。
新島襄・八重・山本覚馬が心血を注いだ同志社を身近に感じれた事。
巡って行くうちに、三千家の場所など新しい発見をした事。
疲れましたが、楽しかったです。

【京都駅に戻ると、、、駅はクリスマス一色!巨大なクリスマスツリーや、大階段のLEDイルミネーションにしばし立ち止まりました】
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この後、宿へ一旦チェックインし、、、ごしゅりんさんとの「河原町の会」へ向かったのでした。。。
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by chiketa_net | 2013-12-06 17:10 | 京都上洛
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