年末から続いた多忙期間が終わり、そろそろ上洛したいなぁ~と思っていました。
前日は朝起きた途端に顔面グシャグシャなハウスダスト・アレルギーで仕事を休むほど症状が酷かったんですが、病院へ行って処方した薬を飲んだら、、、寝る頃にはスッキリしてしまいました…。
今朝起きても大丈夫だったので、思い切って特急サンダーバードに乗って上洛です。
今、
冬の特別拝観が実施されていますが、、、この中から2ヶ所を巡ることにしました。
【1ヶ所目の最寄駅、JR嵯峨野線・花園駅で下車します】
【丸太町通と妙心寺通を約300m進むと、初めて訪れる
臨済宗妙心寺派大本山 正法山妙心寺。勅使門(左)と南総門が並んでますが、当然ながら南総門から境内へ】
臨済宗の宗派の中で、最大勢力を持つ妙心寺派の大本山。
臨済宗末寺7000ヶ所のうち、妙心寺派は約3400ヶ所が属しています。
福井県でも、
大安禅寺や
瑞源寺が妙心寺派の末寺です。
また、世界遺産・
龍安寺は妙心寺の境外塔頭だったりします。
【妙心寺の広大な境内には、
大徳寺の様に塔頭(山内塔頭)が多く存在しています。今回は、そのうちの1ケ所を拝観です】
【南総門から最も近い山内塔頭で、妙心寺四派のひとつである
龍泉派本庵・龍泉菴へ、庫裏から拝観です(特別拝観料600円)】
【建物内は撮影禁止ですが、庭はOKとのこと、方丈南側庭園・坪庭・書院露地庭を撮った次第。方丈庭園は、枯山水の石庭と苔庭が波のように曲線を描いて分かれているのが綺麗に感じた次第】
龍泉菴は、サルの絵で有名な長谷川等伯・筆の「
枯木猿猴図」を所持していることでも知られてます(現在は
京都国立博物館に寄託)。
龍泉菴ほ方丈は、妙心寺山内塔頭としては最大級の規模を持つ方丈で、、、その方丈の襖絵で、個人的には越前海岸を仏教伝来の場として描かれた「
種々東漸図」を是非鑑賞してみたかった次第。
故に、現在3ヶ所で特別拝観をしている妙心寺山内塔頭のうちでここを選んだ理由も「種々東漸図」だったりします。
【拝観を終えて、庫裏を出ます】
【大玄関の方へ行けるようなので、、、見に行った次第。傍らには、妙心寺開基・花園法皇の御所を示す「花園太上法皇仙洞之遺蹟」石碑もありました】
【龍泉菴の拝観を終えて、後にします】
【妙心寺本坊なども拝観したいんですが、これは次の機会、、、是非とも多忙を承知で今年の春に果たす計画をしています…】
今春の再訪時に、妙心寺のことを改めて弊Blogにて紹介したいと考えています。
今回、龍泉菴特別拝観を選んだのは、今春の下見も兼ねてのことでした。
【妙心寺境内を後にして、花園駅に戻ります】
【2駅戻って、
約3年ぶりに二条駅へ。ここで京都市営地下鉄東西線へ乗り換えです】
【さらに、烏丸線に乗り換えて、、、
1年半ぶりに今出川駅で下車。烏丸通をチョイと北へ】
【
先月上洛した時も訪れた、同志社大学室町キャンパス・寒梅館内にあるカジュアルレストラン『
アマーク・ド・パラディ 寒梅館』で、少々早目のランチです。今回は念願の「
日替わりランチ(ライス・ドリンク付 650円)」を選択。今日の日替わりランチは鶏もも肉のソテー・キノコのクリームソースという内容で、ドリンクはやはりジンジャーエールを選択。やっぱり旨いのとボリュームあるのとが魅力!】
【店が混み始めた頃に私は食事を終えて、同志社大学今出川キャンパスを西門から入ります。復元工事中の彰栄館は、完全に覆い被さっていて全く見れません…】
【前回訪問した日は金曜日で学生がたくさんいましたが、、、今日は土曜日なので閑散としてました】
【
ハリス理化学館同志社ギャラリーへ、2度目の入館です】
【今回の上洛「+1」の目的地として再び訪れた理由は、企画展「
新島襄と八重」の
第2章「2人の14年間」を拝見するためです】
1か月半前は、ちょうど大河ドラマが最終回に向けてクライマックスな状況だったので、ハリス理化学館同志社ギャラリーもたくさんの見物客で賑やかでした。
ところが、年が明けた今は、企画展も終わったかのように静かです(といっても、大勢ではなくとも見物客はいます)。
しかし、現在の第2章の展示品は、大河ドラマを観ていた人には「あの時の!」と思い出されるモノばかり。
大変見応えある展示物がいくつも陳列されていて、来て良かった~と思った次第。
来月の第3章の時も訪れようかなぁ…?
【正門より、同志社大学今出川キャンパスを後にしますが、、、すぐ目の前の、同志社女子大学との間の道を北へ進みます】
【
約5年ぶりに、
相国寺の境内を通ります。ここも、妙心寺同様に勅使門と総門が並んでいることに気付いた次第】
【相国寺の境内を東門から出て、上立売通を東へ。すぐのところに、「
甲子役 戊辰役 薩藩戦死者墓・
薩軍戦没者慰霊碑」がありました。「甲子役」とは禁門の変(蛤御門の変)のこと、「戊辰役」は言わずと知れた戊辰戦争(特に鳥羽伏見の戦いか?)。薩摩藩邸が近くにあったため、この地に設けられたのでしょうか】
【さらに上立売通を東へ】
【寺町通に突き当たりますので、ここを北へ】
【300mほど歩いたところにあるのが、、、今回の2ヶ所目の目的地・
浄土宗蓮台山捴見院 阿弥陀寺です。あまり知られていないこの古刹を特別拝観として訪れた最大の理由は、、、「
織田信長公本廟」であること!】
【普段は信長忌(毎年6月2日)と前日のみ、本堂内拝観が可能。今回は特別拝観ということで、狙って訪れました(特別拝観料600円)】
堂内は撮影禁止ですが、見どころは本尊・阿弥陀如来座像と、織田信長像、嫡男・信忠像、庶兄・信広像と、開山である清玉玉誉上人像です。
また、松永久秀・明智光秀・羽柴秀吉の筆による書状も公開されてました。
清玉上人は、信長の庶兄・信広が戦場で保護した妊婦から生まれた子どもで、織田家中で育てられ、信長とは家族同然の縁があります。
僧籍に入り、修業の結果、、、正親町天皇の帰依を受けた高僧となり、信長の援助で阿弥陀寺の開山となりました。
天正12年6月2日未明、明智光秀による「
本能寺の変」により信長は自刃、明智軍の攻撃中に異変を察知した清玉上人は弟子とともに駆けつけ(僧侶なので戦闘中の本能寺境内に入り易かった?)、森蘭丸兄弟から信長の首を託されて法衣の中に首を隠して持ち出しました。
次の日、清玉上人は明智光秀本人に面会し、戦闘の停止と、本能寺で戦死した信長側近の遺骸や、二条城で戦死・自害した嫡男・信忠や家臣の遺骸を収容・供養を申し出て、光秀は快諾(信長所縁の高僧が供養を申し出たことで「信長は死んだ」と判断したため)、阿弥陀寺にて弔いました。
本能寺の変の100日後、大徳寺において信長四男で羽柴秀吉の養子・秀勝を喪主として大葬礼が執り行われ、その後、秀吉が自身を喪主として一周忌法要を行うことを清玉上人に命じたのですが、傍から見れば織田家乗っ取りを遂行しようとしている秀吉に加担はできないと断わられました。
三度、秀吉は清玉上人にお願いをし、300石の朱印状まで持ち込みましたが、清玉上人は朱印状の受け取りを拒否、法要は既にこちらで終えて改めてする必要は無いと断り続けた結果、、、秀吉は
大徳寺山内塔頭・総見院を建立したという事実があります。
清玉上人の死後、秀吉の聚楽第・御土居による京都改造によって、阿弥陀寺は元の場所から面積を8分の1に大縮小という嫌がらせをされて、今の場所に移転させられました。
大正天皇が信長へ正一位を追贈する際に、宮内庁が全国あちこちにある信長の墓(本能寺・総見院含む)を調査した結果、阿弥陀寺の信長公墓が本廟であると確認されて、大正6年に勅使来訪に至ったという本格的な話があります。
【ということで、信長公本廟へ。途中には、松尾芭蕉の句碑
「春立つや新年ふるき米五升」もあります】
【こちらが、「
織田信長・信忠 討死衆墓所」の一角です】
【信長公本廟として、右が信長公の墓(捴見院)、左が信忠公の墓(大雲院)。想像していたより遥かに小さい墓でした…】
【信長公本廟の周りを囲むように、戦死した家臣の墓もあります。向かって左側にある墓のうち、真ん中3つの同じ様な墓が、(右側が)森蘭丸、ひとつとばして力丸、坊丸の墓】
【背後にも、家臣の墓が並んでいます】
【そして、清玉玉誉上人の墓です】
えっ~と驚くほど、非業の死を遂げた天下人の廟所とは思えないほど、質素な場所。
一周忌法要を断られた秀吉の恨みと嫌がらせとはいえ、この状態は、、、やっぱり私は秀吉が嫌いですね…。
【信長公本廟を、そして阿弥陀寺を後にします】
信長の墓は福井県にもあるほど、あちこちに存在するんですが、、、宮内庁公認の廟所本廟訪問をうかがていました。
「戦国の第六天魔王」の墓が小じんまりなのは意外なれど、おそらく信長が最も弔ってもらいたいと思われる人物の傍なのでそれも良いのかも知れません…。
ちなみに、、、信忠公の菩提寺は、
東山・ねねの道の北の突き当たりにある大雲院(祇園閣)です。
こちらも、普段は拝観謝絶・非公開の寺院だったりします(私は特別拝観の時に訪れた経験アリ)。
【寺町通を南へ。足がクタクタになってきました…】
【
出町枡形商店街のアーケードへ入って行きます。福井県鯖江市の
越前漆器が出張販売しているとは思わなかった!】
【河原町通に出ると、豆餅で有名な『
出町ふたば』の前に。相変わらず凄い行列ができてます。今回の私は買い求めませんでしたが、何度か並んだ経験があります…】
【
4年半ぶりに訪れた、賀茂川に架かる出町橋は、若狭小浜に至る「
鯖街道」の起点です。上流側を見ると糺の森がモコモコ、下流側は鴨川デルタが望める良きロケーション】
【続いて、高野川に架かる河合橋を渡ります】
【
京阪電車・出町柳駅から、「
THOMAS & FRIENDS 3000」に(偶然)乗車です。ちょっとでも足を休めさせたいので…】
【七条駅で降りて、再び七条大橋で鴨川の西側へ渡ります】
【久しぶりに、七条通の
事故現場の目の前まで来ました。避けている訳ではありませんが、、、京都駅の近道ということで、高瀬川沿いへ進んだ次第】
【歩きの時には頻繁に通る塩小路通から、京都駅に戻ってきました】
【新快速と各駅停車を乗り継いで福井へ戻ろうとも思いましたが、、、疲れ切ったので特急サンダーバードで帰路につきました】
久しぶりに、京都の街を疲れるほど歩くことができました。
しかも、珍しく洛西・洛中というコース。
仕事の多忙が続いたため、
先週のトヨタ博物館に続いて思いっ切り楽しんで、ストレス発散になったと思ってます。
たくさん仕事をして、思い切り遊んで楽しんで身体を動かすことが、今年以降の私のモットーですね。。。