姪が1年後に高校受験ということで、学業成就・合格祈願にかこつけて上洛を計画してみました。
といっても、
姪自身は部活動で忙しくて帯同せず(
部活動は休みだったことが判明。確認してけば良かった)…。
3連休の初日に訪れるつもりでしたが、急用が入って中日にスライド。
やっと春らしくなった好天の下、私が勝手に選んだ「3大学業成就」巡りをしてみた次第です。
初日に行く場合は
A4(黄)で行くつもりでしたが、、、結局、毎度お馴染み特急サンダーバードで向かいました。
【この日乗車したサンダーバードは、最長352.5kmを走破する魚津発。しかも連休のためか、12両という特急らしい長編成で私が乗車したのは11号車。福井を出ると次は京都まで停車しないダイヤ。滅多に見ない、これぞ特急なサンダーバードで上洛です】
【京都で学業成就・合格祈願の筆頭といったら、、、やっぱり「学業の神様」天神様が鎮座する
北野天満宮です!】
実は、、、京都駅から
市バスを利用して北野天満宮前まで来ようと考えていました。
ところが、乗車予定の北野天満宮・金閣寺方面バス停留所はもの凄い長蛇の列…(といっても、東山方面の気が遠くなる行列ほどでは無かったが)。
どうしても11時台前半に到着する必要があったため、タクシー乗り場に急遽向かったものの、、、やはりタクシー乗り場も長蛇の列…。
このままではマズイ状況でしたが、、、閃いた方法で何とか予定通りに北野天満宮前まで到着することができました。
どういう交通手段で向かったかは、あえて
企業秘密といたします…。
【天神様へ参る前に、予約していた早目の昼食とするため、、、北野天満宮前交差点から御前通をちょっとだけ南へ。もう店が見えてます】
【うどん店『
手打ちうどん たわらや』を訪れました】
【築400年の町屋を改装した店舗は、私好みな雰囲気。屋内に井戸があるのも京都らしい】
【前日に注文していた「たわらやうどん(700円)」のセットである「
名物セット たわらやうどん・衣笠丼(1220円)」です!】
お目当ての「たわらやうどん」は、直径1cm以上の極太一本うどんが2本!歯応えは餅みたい~♪
出汁も大変旨く、生姜を入れると身体が温まります。
注文したというのは、この一本うどんが限定数しか提供できないため、事前に来店時間を伝えて注文しておけば確実に食べられるということ(客席の予約とは違う)。
以前はもっと太くホントの一本だけだったが、手打ちで太くして茹でるのは大変時間がかかる(今の太さでも1時間かかる)のと、喉に詰まってしまうのを防ぐために、今の提供状態になったという話です。
「北野天満宮三大名物」のひとつに数えられています。
このネタ的なうどんが評判で、私が店に入った後はすぐに満席になってました。
【『たわらや』を後にして、今出川通へ】
【ここから上洛の主旨に戻って、北野天満宮の境内へ進みます】
【天満宮を牛は切っても切れない関係。悪いところと同じ箇所を触ると良いということで、私も右足を触った次第…】
【
楼門を通ると、梅の木が並ぶ宝物殿・神楽殿や絵馬所が賑わっています】
【参道を順路の通り進むと、国重要文化財・
三光門へ】
【そして、豊臣秀頼の寄進による国宝・
社殿にて参拝です。参道の真ん中には行列ができてましたが、私は拘らずに右側にて祈願した次第】
【今回は3ヶ所巡りですが、、、姪に渡すお守りはここ北野天満宮でのみ購入しました】
【東側の回廊から出たところには、、、やっぱり牛の石像が。牛の像のほとんどが、献納されたモノの様です】
【
3年前に桜の歩き巡りした時に前を通った、国重要文化財・
東門を内から外から眺めます。この門が重要文化財って意識している参拝客は、どれだけだろうか…】
【東門を入ってすぐ左手には、「北野天満宮三大名物」のうちのひとつ「長五郎餅」の『
長五郎餅本舗』境内茶店がありました(購入せず)】
ちなみに、三大名物のもうひとつは、、、『
粟餅所 澤屋』の「粟餅」です(お店は今出川通の停留所の近く)。
【ここの手水舎にも、牛がいますよ~】
【社殿の北側を回ります。裏手と思うなかれ、地主社(境内の守り神)をはじめとして摂社が並ぶ様に花を咲かせた梅の木がは見応えアリ】
【参道を中心に、境内の東西には梅の木が鮮やかな花を咲かせています】
【毎年、2月初めから3月下旬まで、
梅苑公開がされていて、国指定史跡・
御土居も公開しているとあることから、この御土居口から入苑(600円)してみます】
【大欅「東風」を見ながら、坂道を上がります。上がったところには、天満宮主祭神である菅原道真公の
「此のたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神の随に」(小倉百人一首24番・菅家)の石碑が】
【坂道を上がった場所そのものが、「御土居」です!舞台から下を眺めると、天神側との標高差が見てとれます】
御土居は、天下統一を果たした関白太政大臣豊臣秀吉が行った京都改造事業のひとつで、洛中を囲んだ土塁です。
城の用語でも使われる小田原城に代表される
惣構を京都に持ち込んだものと思われる遺構です。
徳川幕府時代には道ができたところは撤去されたものの、それ以外は幕府が管理したり、移築したり、再利用されたりしていて、以前訪れた
渉成園内の東側にある築山は、御土居の一部を再利用したものと考えられています。
明治以降、住宅開発で壊されつつあるものを、昭和5年に8ヶ所を国指定史跡に、追加でこの北野天満宮西側に残されている御土居を昭和40年に指定されています。
【石段で、天神川の方へ下りてみます。いかに御土居が高く盛られた土塁かがよく分かります】
【天神川に架かる
鶯橋の上から、南側を見た眺めです】
【天神川沿いを歩きます。この辺や御土居は、どちらかというと紅葉の時季に見応えある様です(秋に来たことは無い)が、、、なかなかどうして、梅の花の眺めも素晴らしいです】
【再び、御土居の上へと上がります。途中で見た天神川沿いは、色とりどりの梅の花できれいです】
【梅苑は、ここからが本番です】
【茶屋にて、入苑券と引き換えの茶菓子と梅茶をいただいて、梅を眺めながらちょっと一息です】
【梅苑を回ります。梅の花の香りが、ここ最近の多忙な心身を癒してくれる、、、というのも大げさでないほど、リラックスできました】
牛とともに、梅は菅原道真公とは切っても切れない関係。
右大臣の時に、左大臣藤原時平の讒訴によって大宰府へ左遷された時、「
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と愛しんだ梅の木に別れを告げたところ、梅の木が大宰府まで飛んで行った「飛梅伝説」があるほど。
そして、北野天満宮の紋様も梅を模した「梅鉢紋」であり、菅原氏後裔を称した加賀藩前田家の家紋も「加賀梅鉢」だったりします。
【楼門の前で、梅苑から出ます。この楼門前口のほうがメインで、大きな看板も傍にあって目立ちます】
【まだまだ参拝客が訪れる参道を戻り、北野天満宮を後にします】
何度も訪れている北野天満宮を、やっと弊Blogで紹介することができました。
ちなみに、天神様は学問だけの神様では非ず、
「最強の怨霊」崇徳天皇と同様、「日本三大怨霊」として国の守護としての神様でもあることを忘れてはいけません。
【行列を成している北野天満宮前停留所を見ながら、今出川通を西へ歩きます】
続きます。。。