書店でこの表紙を見て、随分昔の記憶が甦ってきた。
「スポーツグラフィック・ナンバー 663号『F1鈴鹿』」を、何の迷いも無く、すぐに購入した。
私の高校生の頃から20歳代は、そのままF1やWRCをはじめとするモータースポーツ関連に夢中だった。
私の自家用車選びにも、まんまそれが反映している。
閑話休題、私がF1を見るようになったのは1986年。
CXが全戦中継をする1年前です。友人から見せてもらった英語だらけのVTRを見せてもらい、何がなんだか分からないのでレース雑誌で確認するようになってから、どっぷり浸かりました。
今でも、わざわざ通販で購入した伝説の最終戦(1986年オーストラリアGP)のVTRを持っています。
「こんなレース、日本では見られんのが残念」と思うほど、衝撃を受けたものです。
ましてや、中嶋悟選手が日本人初のフル参戦をするのに見られんのかと思うとガッカリしていたのです。
その後、「鈴鹿で日本GP開催!」が決まったのです。
それから、20年。
いまだに鈴鹿観戦は果たせず、今年で一旦鈴鹿開催のGPは幕を閉じてしまいます。
富士に移ることに関しては言いたいことがタップリありますが、それはあえてここでは封印です。
今年を含めたここ2年はテレビ観戦すら遠ざかっていますが、「鈴鹿の日本GP」だけは必ずテレビ放送(録画ではない)を欠かさず観ていました。
その数々の想い出が、この雑誌には凝縮されていた。
「あのGPの時は、俺は何をしていたか」という記憶が、甦ってきた。
そして、「あの頃のF1は、単純に面白かったんだが…」と思わずにはいられない。
個性溢れるレーサーたちが、本当の実力を競っていたのだが。
レギュレーション変更の連続で、年々魅力が薄れるF1。
ビルヌーヴやモントーヤといった実力と個性のあるレーサーがシーズン途中で離脱しアメリカへ行こうとしている事実が、如実にそれを表しているといっても過言ではない。
巨大自動車メーカーを主役に巨額の大金が飛び交う状況は、「スポーツ」ではなく「エンターテイメント」としてF1が成り立っており、本当の実力者がトップになるとは限らない状況にしか、どうしても私の目には映らない。
ただ、今年は「スーパーアグリ」が参戦してくれた。
はっきり言って、今のF1に対するアンチテーゼ的な存在だが、だからこそ応援したくなる私がいるし、今号のナンバーでもそれは指摘している。
鈴鹿ラストラン、後から1番と3番のグリッドであろうが、主役は「スーパーアグリ」に違いない。
明日の本戦で最高のパフォーマンスを発揮することを、切に願って止まない。
日本GPなんだから、地元贔屓は当たり前でしょう!