今年は、7年に一度の盛儀「
善光寺御開帳」の年です。
私の両親はこういうイベントに弱いのか、
京都から帰ってきた私に「明日、善光寺に行くから来い!」とのこと。
もちろん、交代運転手要員としての帯同です。
『1000円割引』の悪い意味での効果を前日見た私としては、「朝6時までには福井を出発すること」を条件に行くことにしました。
それでも、渋滞にハマることを覚悟して…。
【米原JCT経由で、中央道へ。100㎞/hで走れる状態が珍しいほど、車が多い多い…】
【飯田ICで、中央道を降ります。私が飯田市を目的に来たのは、実に7年ぶり】
【R153「アップルロード」を走ります。天竜川の巨大な河岸段丘を、飯田市内を走っていて感じれます】
【ほどなく、定額山
元善光寺に到着しました。目の前の駐車場に入れたのは、とても幸運でした】
【ずっと元善光寺に来てみたかったのですが、やっと実現しました!】
【元善光寺にも、
前立本尊の右手と結ばれた
回向柱が立っていました。もちろん、柱に十分過ぎるほど触ってきました】
【建物内は、撮影禁止です。前立本尊様を拝見してから、新宝物殿や平和殿を見物。平和殿の窓から外を撮ってみました。元善光寺は「さつき寺」とも呼ばれるほど、皐月がたくさん植えられています】
【境内には、躑躅や皐月に囲まれて松尾芭蕉の句碑がありました】
【お戒壇巡りもして、元善光寺を後にしました】
日本最初の仏像「一光三尊阿弥陀如来」(秘仏)が本田善光という人物の手で地元・麻績の里(飯田市)に「座光寺」として創建されたのが、推古天皇10(602)年。
自宅の臼の上に仏像を置いたところ、臼が光り輝いたから座光寺という名前になったとのこと。
皇極天皇元(629)年に、勅願で芋井の里(長野市)に秘仏は遷座、本田善光の名をとって「善光寺」と名付けられたため、「座光寺」は「元善光寺」と名を変えて臼と木彫りの本尊が残されました。
「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という仏勅(お告げ)が残されたことで、
「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」と言われるようになったということです。
【R153を経由しりんご畑を横に見て、松川ICから再び中央道へ】
【中央アルプス・木曽駒ヶ岳周辺の山々は、残雪でとても美しい稜線を見せてくれました】
【駒ケ岳SAで休憩、早めの昼食に「
名物ソースカツ丼(1050円)」を注文。福井のソースカツ丼よりも甘いソースでしたね】
午後の部として、「長野編」に続きます…