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「吾唯足知」な日々


【吾唯足知】とは…『自らを高めるための弛まぬ努力を続けることは大事なこと、そして志半ばでも自らを振り返って成したことに対し満足するゆとりの心を持つことも大事なこと』…と自己解釈。
本来の意味では…『足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し』…という仏教の真髄かつ茶道の精神を表現した言葉。

ポツポツと綴る、福井在住・Takeuchiによる日常の「ひとりごと」(画像・座右の銘&Blogタイトル由来の龍安寺「知足の蹲踞」)
by Takeuchi
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朝倉の石仏群
アレルギー症状で木・金曜日は頭痛・咳込みが酷かったので、午前中はほぼ休養に充てていました。
しかし、せっかく天気が良いこともあるので、ちょっとだけ出かけることに。
戦国時代の、表情豊かな石仏群を見に行きました。

一乗谷あさくら水の駅よりも、少し東に行ったところの山の麓に、国特別史跡・一乗谷朝倉氏遺跡の一角である西山光照寺跡です。この時季なので、陽が当たらない山影ばかりな時間に来ちゃいました…】
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【今もなお、発掘作業が行われています。今年には、本堂など重要な施設だったとみられる4棟分の建物跡が見つかったと、先週ローカルニュースで報道されたばかりです】
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【ここからが、西山光照寺跡の範囲です】
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【池を取り囲むように、5つの覆屋があり、その中に38体の石仏が今も残されています】
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【まずは、北側の覆屋から。笏谷石で彫られた石仏は、よく見ると表情が様々で、実に豊かです。劣化が酷くて尊顔どころか胴体すら無い石仏もありますが、お花は一緒に供えられていました】
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【北東の角から、寺域を見ます】
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【何故か車道とは全く関係が無い北東の角に、北向きに立てられている『史蹟西山光照寺趾』の石碑】
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【ちょうど、西山光照寺のすぐ横を通る越美北線の福井行キハ120形が通り過ぎて、一乗谷駅に停車しました。石碑は、車窓から見られるためにこの向きに立てたのでしょうか…】
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【再び、池の周囲を回る様に石仏を見ます。東側にある覆屋の両脇には、一石五輪塔の残欠が積み上げられています。今後、この残欠が日の目を見ることがあるのだろうか】
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【南東の角からです】
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【南側の覆屋の石仏です。こちらは、さらに見てて楽しい表情の石仏が並んでいますよ~】
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【東南の角からです】
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【東側の覆屋にある不動明王が、38体石仏の中で最も大きいものです。隣りには制多迦童子がいますが、、、ホントは逆隣りに矜羯羅童子がいなければいけない(不動明王・制多迦童子・矜羯羅童子が揃って「不動三尊」揃い踏みとなる)。果たして矜羯羅童子の石仏は、今はいずこへ…】
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【石仏群の東側には、建物の遺構が発掘されています】
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【地下式倉庫の跡。左上の隅には、倉庫に降りるための石段もありました。山側には、何らかの建物跡があります】
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【こちらは、井戸と建物跡】
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【更に南側へ】
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【墓地跡と、これも何らかの石積施設があったところです】
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【最も奥にあたる、墓地跡から寺域全体を見てみます】
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【石仏群のすぐ東側にあるのが、阿弥陀三尊の種子石仏。よ~く見ると、上と下に左右刻まれているのが分かる】
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【西山光照寺を後にしました】
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【機会をつくって、チャリで朝倉氏遺跡巡りをしてみたいですね~】
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西山光照寺の創建は、平安時代とされています。
戦国大名・朝倉氏7代目当主である越前守護・朝倉敏景が、反目した叔父・朝倉(鳥羽)将景の菩提を弔うために再興した天台宗真盛派の寺院です。
約40ヶ所あった一乗谷の寺院の中でも、最大の規模を誇る寺院でした。
織田信長による刀禰坂の戦い・一乗谷の戦いに敗れ、11代目当主・朝倉義景が大野へ逃れた後、一乗谷は織田軍勢から放たれた火によって一乗谷は灰塵に帰しましたが、西山光照寺も同じく火災に遭ったようです。
柴田勝家の入封時に西山光照寺も北ノ庄(福井)へ移り、以降400年間は田畑の下に埋もれていました。
昭和40年代以降、発掘によって西山光照寺の往年の威容が判明し、石仏や覆屋を見ることができています。

とてもシュールな雰囲気ですが、石仏群の表情は一見の価値ありです!
うろ憶えですが中学生の時以来の再訪で、その頃はもっとシュールだったと思います。
昨今の歴史ブームとCMで脚光を浴びているこの地域ですが、ここも徐々に整備されてきたのでしょうね。
福井市街からはチョイと時間潰しに鉄道・バス・自家用車で来れる場所なので、朝倉の石仏群を眺めに来てみてはと、、、お勧めの場所だと思います。。。
by chiketa_net | 2011-11-12 19:25 | 越前若狭の歴史
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