ハム44年ぶり日本一、新庄泣きっぱなし
昨日はプレーボールから、ずっと見ていました。
というよりも、今年の日本シリーズは全戦テレビ観戦していたのです。
落合監督の胴上げも見たかったし、新庄選手の「有終の美」も見たかった。
おそらく落合監督は来年もあるでしょうが、間違いなく新庄選手は今年限り。
複雑な気持ちで、テレビの前にいたものでした。
落合監督の胴上げが見たい理由は、いずれ語るときがあるでしょうから、割愛。
新庄選手の「有終の美」を見たい理由はただひとつ、「これからの日本プロ野球の理想像の完成形」を見届けたかった。
人気球団・阪神タイガースからメジャーリーグへと、派手な経歴を持つスタープレーヤーが、移転したばかりのパ・リーグ球団で何をしてくれるのかが、私は本当に気になっていた。
新庄選手がずっと華やかなステージに立ち続けていた訳ではないという経歴や情報を知っていれば、尚更だ。
阪神時代、不調時のオールスター出場の際には、セ・リーグ応援団から「応援拒否」をされた過去があること。
メジャーに時代、3Aでどれだけ高打率を記録しても、なかなか「人種差別の壁」に遮られて昇格できなかった過去があること。
そういった不遇の時も一括した上での新庄選手が、北海道へ移ったファイターズをどうするのかというのが、非常に興味があった。
まさに、『新庄劇場』でしたね。
成績を残すだけがプロではなく、お客を呼べれるような魅せるプレーができるのがプロ。
エンターテイメントという形でそれを示しているのが、私にはすぐに理解できた。
そりゃあ古参プロ野球OBは苦虫噛んでいたでしょうが、それは胡坐かいていても客がきてくれた時代の人たちの「現状維持」的な考えしかないと思った。
どいつもこいつも「監督のために」なんて言っている選手は、美談にこそなれある意味軍隊的だと感じたものだ。
プロスポーツ選手ならば「好きなスポーツで働ける幸せ」「どこから給料が出ているのか?」ということを考えたら、真っ先に誰のために考えなければならないのかは明白なはず。
新庄選手が真にその一点をアピールするために種を蒔いて、育てて、咲いて、そして実った集大成が、昨日の胴上げだと思う。
別段プロスポーツ界だけの話では、決して無い。
過程はどうであれ、私も新庄選手のようなあり方を表現できる自分になりたいと心底思った次第です。
8回裏の最後の打席以降、一緒に泣けてしまった私がいたのでした。