「吾唯足知」な日々


【吾唯足知】とは…『自らを高めるための弛まぬ努力を続けることは大事なこと、そして志半ばでも自らを振り返って成したことに対し満足するゆとりの心を持つことも大事なこと』…と自己解釈。
本来の意味では…『足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し』…という仏教の真髄かつ茶道の精神を表現した言葉。

ポツポツと綴る、福井在住・Takeuchiによる日常の「ひとりごと」(画像・座右の銘&Blogタイトル由来の龍安寺「知足の蹲踞」)
by Takeuchi
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福井城百間堀
随分久しぶりに、県庁に用事がありました。
相変わらず予定時間よりも早く到着してしまったので、少し福井駅西側をぶらぶら。
朝っぱらから暑いにもかかわらず、ぶらぶら。

そしたら、前々から聞いていたこれを初めて見つけました。
d0079440_2228923.jpg




柵の中を覗いて見ると…
d0079440_22293619.jpg

ガラスの向こうに石垣が…。
これは、福井城の外堀「百間堀」石垣の様子を再現したモノです。

関が原の合戦の後、徳川家康次男・結城秀康が転封されてきた際に築いたのが福井城であることは、度々このBlogで紹介しています。
その築城の際、巨大な外堀が縄張りされたのですが、それが「百間堀」です。
実際の幅は百間ではなく五十五間(約100m)の外堀でしたが、まぁそれだけ広い堀だということで名付けられたのでしょう。
今で言うと、福井駅西口を出るといきなり広々としたお堀がある、、、という場所にありました。
何故このようなものが再現できたかは県庁HPの説明にお任せですが、かつては福井城の敷地がとてつもなく広大で、徳川政権の威信をかけて築かれた福井城の威厳を、ほんのチョットだけ垣間見えれば幸いです。
明治維新後、福井城の遺構はことごとく消え去る歴史でしたが、百間堀石垣の再現と御廊下橋の復活を起爆剤として、徐々に復元計画を実現していって欲しいものです。

もし、今でも百間堀があったとしたら、この猛暑も少しは堀に湛えられた水で多少は涼やかな感じになっていたのかもしれませんね。
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by chiketa_net | 2008-07-25 23:00 | 越前若狭の歴史
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